満月の夜に捨てる嘘





 二つの影が、夜闇に紛れて、村外れの宿に忍び寄りつつあった。
 いや、忍び寄るなどという表現は適当ではない。
 彼らは、晩秋の凍った夜の空気と、僅かに降り注ぐ月明かりを切り裂いて、疾走していた。
 その姿は、確かに獣の如きだった。全身を剛毛に覆われ、その双眸は寡少な光を集めて、闇の中に怪しく煌いている。
 爛々と輝く瞳に、狙うべき人物の姿が映った。宿の裏手で、戸締りをしている人影が。
 人か、そうでないか。今夜、その正体を見極められる事になった、レジーナの姿だ。
 神の力を借りた神父と、数多の知識を持つ青年。本当に、二人が彼らの血族を判別する事が出来るのかどうか、それは判らない。
 だが、彼らは知っている。レジーナが、仲間の血を引いてはいないことを。そして、心の平衡を失しかけている村長の代わりに、村を牽引する存在であることを。強固な意志と、村人を纏める能力を持つレジーナよりは、矮小な凡人のヴァルターの方が御し易い。
 そして、襲撃は決定された。今宵の空腹を満たす為に。誇り高き自らの血の存続の為に。

 ふいと、レジーナが振り返る。その表情は、たった一秒にも満たぬ間に、平静から疑問と驚愕を経由して、恐怖へと変貌した。
 しかし、顔面に浮かぶ表情の変化の早さとは裏腹に、レジーナの肉体は凍り付いたように動かない。もっとも、即座に逃げたところで、死に場所が数メートル移動するだけだ。逃亡を許すには、レジーナと彼らの運動能力は掛け離れ過ぎている。

『レジーナ、今日がお前の命日だ!』

 雄叫びを上げた仲間が、良く研がれた刃物を並べたような爪を振り上げて、目前の哀れな獲物へと飛び掛り、恐怖に目を見開いたレジーナの頭部に、その爪を思い切り振り下ろす、その直前。
 ヒュンという風切り音を知覚すると同時に、仲間の背に一本の矢が生えたかのように見えた――そう、信じられぬ事に、その矢は硬い皮膚を貫き、筋肉の鎧を破っていたのだ。
 激痛に顔を歪め、膝を落として呻く仲間。それを見て我に返ったように、慌てて宿の中へと逃げ込むレジーナ。だが、それを追う余裕は今の彼らには無かった――飛来する矢は、一本で終わりではなかったのだ。再び襲ってきた矢が、空を割く音を感じ取って、傷付いた仲間を咄嗟に地面へと引き摺り倒す。
 それに数瞬遅れて、矢の形を取った殺意が、頭上を通過して宿の壁へと突き刺さった。その僅かな間隙は、集中していれば回避は可能なレベルだろうか。ならば、一刻も早くこの場を脱して、仲間の傷を診てやるべきだろう。
 そう判断すると、苦しむ仲間の手を引いて、矢が届かぬ場所への離脱を図った――警戒されていては矢の無駄と悟ったのか、それ以上の追撃は無かった。かれらの逃走は実に素早く、そして完璧に行われたのだった。

 逃げ込んだのは、主を失ったトーマスの小屋だった。騒ぎが起きた中、深夜に森に分け入って、無人の小屋を訪ねる村人など存在しないだろう。そう判断しての事だ。
 仲間の背に、深々と刺さった矢を引き抜いてやって、溜め息を吐いた。夜の間、それも月は出ていたというのに、人間の放った矢などに傷付けられるとは。
 だが、彼は床に打ち捨てた矢の、仲間の血で染まった鏃の、その淡い輝きに気付いて、戦慄した。
 通常の矢であれば、夜の間は"不死"とまで云われる人狼の肉体を貫く事は適わない。精々が、皮膚に傷を付ける程度で終わるだろう。
 しかし、この矢の鏃は銀――月の女神の力を受けた、夜に棲む者にとっての天敵たる金属。銀で作られた武器の前では、夜の人狼とて、不死ではいられないのだ。
 かつて、自分を育ててくれた同胞から聞いた事がある。その話を、かれは遠い追憶から呼び起こした。銀製の武器を持つ、人狼を狩る天敵の存在を――。




3日目 止まらぬ車輪

 ディーターは、一気に不機嫌となった。
 それというのも、集会所代わりとなった宿に足を踏み入れた瞬間に、ヒステリックなヴァルターの怒声が耳に届いたからだ。
 男のヒステリーと嫉妬ほど見苦しいものは、そうはない。ディーターは常々から感じていたその持論を裏付ける、生きた証拠を目の前にした事に対して、欠片ほどの喜びも見出せなかった。
 とはいえ、そのヴァルターの口論の相手が、宿の主人のレジーナであることは、少々ディーターにとって意外な光景ではあった。
 見渡せば、未だ余り村人は集まってはおらず、当事者であるレジーナとヴァルターの他には、ジムゾンとペーター・リーザの教会組。そして、モーリッツの姿があるのみだった。
 ジムゾンに限ったことではないが、ディーターは聖職者というものが苦手であったし、ペーターとリーザになにかを訊ねても、満足な回答が得られるとも思えない。自動的に、モーリッツの横に腰を下ろし、眼前で繰り広げられている口論の説明を要求する。

「爺さん。ありゃ一体、何がどうなってんだい?」
「レジーナが昨晩、人狼に襲われたんじゃよ」

 ディーターは思わず、ヴァルターの口論の相手をまじまじと見詰め、その姿を自らの記憶にあるものと照合し、それが確かにレジーナであることを再確認する羽目になった。
 悪質な冗談だ。ディーターは、そう受け取った。モーリッツは、よく他人をからかって楽しんでいるが、それが度を過ぎて、相手に不快感を与える事も多々有る。
 ディーターは、やや強い口調で、モーリッツを睨んだ。

「冗談が過ぎるぜ、爺さん。レジーナ、生きてるじゃねぇか」
「早とちりするでない。襲われたからとて、死ぬとは限らんじゃろ。何でもの、間一髪のところで、何処からか矢が飛んできたそうじゃよ。その隙に、なんとか逃げ出したんじゃと」

 モーリッツが指差した先のテーブルには、一本の矢が置かれていた。立ち上がって、それをまじまじと見詰める。
 この矢の鏃は、銀――それも純銀だ。過去に経験した仕事の一つから、ディーターは、金や銀の純度を量ることができた。必要に迫られて覚えた技能ではあったが、これが中々どうして役に立つ。以前にも、純銀だという装飾品が、混ぜ物の多い劣悪な品である事を一目で見抜いた事があった。それを差し出した男は、次の朝には何匹かの豚の胃の中に納まっていた。

「ほお……銀の矢だなんて、随分と"らしい"じゃねぇの。いよいよだな、こりゃ――しかし、これ血が付いてないな。矢は人狼に当たったんじゃないのか?」

 当然の疑問を、ディーターは口にした。幾ら人狼などという化け物とはいえ、昼間は人間と同じ姿をしているということだから、赤い血くらいは流れているだろう。別に、緑や青でも構わないが。

「ああ、血の跡はあったぞい。当たったのは、それとは別の矢だっちゅう事じゃろな」

 なるほど、とディーターは頷いた。しかし、人狼らしき死体が見付かっていないという事は、射手は人狼を仕留め損ねたのだろう。
 ディーターも、クロスボウを扱った経験はあるが、五十メートル以内ならば、胸部などの急所に直撃させる自信はある。とはいえ、相手は人間ではない。人狼などという化け物を相手に、遠くから狙った矢が、致命傷を与えれるかどうか、疑問の残るところだ。
 獣に限らず、手負いの相手というのは厄介なものだ。やるのなら、一撃で確実に命を奪う。これが、ディーターの過去の経験から学んだ、戦闘の鉄則だった。先手さえ取れれば、ディーターは相手が人狼という化け物であっても、遅れを取るつもりはなかった。実際、ディーターはこれまでの人生で、数々の修羅場を潜り抜けてきた。それは過信でも何でもなく、自らの力量を正しく評価しての事だ。
 そんな格闘のプロとも云えるディーターが、最も得意としている武器である、腰に差した十年来の相棒である短剣。その、使い込まれて飴色となった革巻きの柄に、無意識に手を置いて、予想される人狼との戦いを、シミュレートする。
 遭遇は確実に夜だろう。怪しい人影は、まず人狼と疑う。短剣をいつでも抜けるよう、柄に手を添えておく。それが知った顔であっても安心はしない。話しかけ、少しでも怪しい動きをすれば、その首筋目掛けて短剣を滑らせ――

「あのね、その矢、壁に刺さってたんだ。僕が見付けたんだよ、ディー兄!」

 ディーターの脳裏で、人狼の喉元に冷たい銀色の刃が突き立とうとした瞬間、ペーターの無邪気な呼び掛けによって、その光景は霧散した。
 慌てて、険しくなっていた表情を崩すと、ペーターが誇らしげに胸を張っている。ディーターを見詰める、ブラウンの小さな瞳。ペーターが何を期待しているのかは、明らかだった。

「おう、そうか。偉いぞ、ペーター。ほら、来い」

 その言葉に、目を輝かせて駆け寄ったペーターを、ひょいと持ち上げて膝に乗せると、サラサラとしたチョコレート色の髪を、わしわしと掻き混ぜるように撫でる。ペーターは、満足気に笑顔を浮かべながら、ディーターの掌や指の動きに応じて、子犬のように表情を変えてゆく。
 これが、ディーターとペーターの間での、一番の――ディーターが街で時折買って来る玩具や、オットーの焼いた菓子にも勝る、ささやかだが最高の"御褒美"だった。
 ディーターの膝の上で、気持ち良さそうに目を瞑るペーターを眺めて、ジムゾンが苦笑いと羨望の綯い交ぜになった表情を浮かべた。普段、教会でジムゾンが子供達にどのように接しているのかは知らないが、親代わりとなっているジムゾンよりも、ディーターの方が懐かれているのだった。

「ねえ、ディー兄。ヤコブおじちゃんとパメラ姉ちゃんは、家族だから、人狼じゃないんだよね?」
「……ああ、そうだな。同じ血を分けた兄と妹の、片方が人狼なんて事はないからな」

 膝の上から、顔をくるりと向けて訊ねるペーター。子供にまでこのような考えをさせねばならない現状に、苦い気持ちを覚えながら、ディーターは答えた。

「両方が人狼ってことは、ないの?」
「絶対にない、とはいえないけどな。ずっと二人が無事ってなら、考える必要はあるだろうが、いまはいいんだ。  疑い出せば、キリがないからな。どこかで、一線は引かなきゃならねえ。勿論、リスクを見極めてな。まあ、それにだ……」

 ディーターが、顎の先で、たった今飛び込んで来た男を示す。

「今日は皆無事なんだべか!? 人狼は居なくなっただか!?」

 その手には、良く手入れの行き届いた、農作業用の鋤が握られている。農具を持ったまま、宿に飛び込んで、この第一声。
 流石のレジーナとヴァルターも、不毛な言い争いの手を休め、唖然として、ヤコブの姿を眺めるしか出来なかった。

「……アレが人狼に思えるか、ペーター?」
「うん……僕、納得」

 それが演技である、という可能性を否定する事は出来ない。しかし、幾つかの状況証拠から考えても、ヤコブとパメラの兄妹が人狼だとは考え難いのだ。
 第一に、ヤコブとパメラの二人ともが、ゲルトの死体を発見した際にその現場に居合わせた。これは、二人が人狼であるとした場合、非常に危険なことだ。事実、羊とゲルト、双方の死体を最初に発見したトーマスは昨日、人狼の疑惑を受けて処刑――クソッタレな事に、それを行ったのは俺達村人だ――されている。
 そして、羊の死体が発見された晩、ヤコブもパメラも、オットーが迎えに訪れた際には、既に眠っていたという。自分達で羊を殺したのならば、第三者と共に居るべきだろう。アリバイの為に。
 これらの事から、ヤコブとパメラは人間だという前提が、皆の中にはあった。だが、二人が兄妹――血を共有する者、即ち人間であると皆に認められた裏には、少なからずヤコブの人格が影響しているだろう。ディーターも、ヤコブのような男が、人狼であるなどとは微塵も思っていなかった。

「ん? どうしただか、皆。固まっちまって……外まで、議論の声聴こえてただに」
「はあ……そんな気、失せちまったよ。ヴァルター、一旦休憩にしようじゃないか。お茶でも入れようか」

 毒気を抜かれたように頷いて、卓に着くヴァルターと、奥の調理場へと入っていくレジーナ。
 状況を読めず、顔に疑問符を並べるヤコブに、それまで黙ってその光景を見守っていたジムゾンが動いた。それは、誰かが言わなければいけない事だったから。

「……ヤコブさん。取り敢えず、その農具は置いて来た方が良いのでは……」





「――結論を言えば、トーマス氏は人間だった」

 ニコラスの言葉を受けて、集まった村人達の間に、重い空気が漂う。周囲の視線が、もう一人へと集まった。カタリナだ。
 その視線を受けたカタリナが、黙って頷いて、肯定の意を示す。集まった村人達の間に、溜め息が誰からともなく広がった。この瞬間に、村人全員が共犯となったのだ。無実の村人を、村の為という大義名分を以って処刑したという、その事実の。
 ディーターは、最後まで村の為を思っていたトーマスを信じ切れなかった事を悔やんだ。だが、罪無き人間を処刑してしまったのだ。ここで立ち止まるわけには、いかなかった。

「そうか……ヨアヒムと神父は、どうだったんだ。ま、人狼だと判っていたら、そんなに落ち着いちゃいねぇな。それに……」
「人狼に襲われかけたから、人間だというのか? 誰も見ていないのに? それに、二人がレジーナと口裏を合わせていないと、どうやって証明するのだ?」

 ヴァルターが、最悪の状況を口にする。そう。万が一、この三人が人狼だった場合は、村は既に滅亡へと片足を踏み込んでいる事になる。それを危惧する者が出る事は、おかしくはない。
 しかし、ヴァルターの言葉が、そのような意思の元に発された物であると考える事は、ディーターにはできなかった。恐らくは、他の村人達も。
 息子であるゲルトが、無残な死体で発見されて以降、明らかにヴァルターの精神は平衡を失っているように見える。元々、常人以上にあった猜疑心は膨れ上がり、誰彼構わずに人狼の疑いを掛け、ほんの些細な事で怒声を上げ、食って掛かるようになった。
 今のヴァルターにとっては、村人の全ては疑いの対象でしかないのだろう。

「村長……それは流石に、考えたくないべよ。ヨアヒムと神父様の二人が人狼だなんて。
 おら、ヨアヒムがガキの頃から知ってるし、神父様も良い人だべ……出来るなら、両方信じたいべ……」

 ヤコブの願いは、村人皆の願いでもある。二人の判定が同じものである限りは、二人を共に信じ続ける事が出来るのだ。

「私とて、レジーナとは子供の頃からの付き合いだがな。それとこれとは、話は別だ。私はレジーナが人間であると信じることは出来ん。
 レジーナの言葉には、皆を間違った方向へと誘導する力がある。私は村長として、それを見過ごすわけにはいかんのだ。今日はレジーナを処刑するぞ」

 ディーターは大きい溜め息を吐いた。話にならない。ヨアヒムとジムゾンの二人が人間だと言ったレジーナを吊ろうというのだ、ヴァルターは。
 有り得ない選択だった。その選択をするのならば、ヨアヒムとジムゾンの両名をも吊る事になる。現状で、村人が頼れるのは彼ら二人の持つ、人狼を見分ける術だけだというのに。
 完全に信じる事は危険だ。だが、信じざるを得ない状況であるのも、確かなのだ。ヨアヒムとジムゾンのどちらも人狼である、というのは。ディーターにとっては、見極めたあとで、切り捨てたリスクだった。そちらに転ぶなら、諦めるほかない。

「村長よぉ、冷静になろうぜ。レジーナを処刑するって事はだ、ヨアヒムも神父も信じねえって事だぜ?」
「そうですよ、村長。ここでレジーナさんを処刑だなんて……
 僕もレジーナさんの襲われたっていう現場を見てきましたけど、血痕や獣毛もありましたし……」
「そうじゃの。今のところは、信じるしかないと思うがの。レジーナが襲われたっちゅうのも、まあ、おかしくはない話じゃし」

 モーリッツが、レジーナが襲撃される事の妥当性へと言及した。それには、ディーターも同意だった。あの銀の矢の主が誰かは知らないが、確かに頭の切れる人間であるのだろうと、ディーターは感じていた。人狼を仕留め損なった、弓の腕の方は別としてもだ。
 発言力のあるレジーナが人間として確定してしまえば、それは人狼にとっての脅威と成り得る。レジーナが昨晩襲われる可能性が高いことを、正しく見抜いていたのだろう。
 人間として皆に認められたヤコブとパメラの兄妹や、死体が人か人狼かを見分けられるニコラス、霊と対話出来るカタリナ。そして勿論、ヨアヒムとジムゾン。これらの人々が狙われる可能性も、十二分にあったのだ。その中から、レジーナを――昨日の段階では、村人からみれば、人狼の可能性もあるレジーナを護った銀矢の射手の見識には、賞賛の意を素直に送りたいとディーターは思った。
 ただし――それは、人狼が昨日の会議に参加した村人の中に紛れていたことも意味していた。偶然というものを信じるほどには、ディーターの警戒心は錆び付いてはいなかった。

「リーザもおじいちゃんに賛成です、村長さま。ヨアヒムさんも神父さまも、人狼だなんて思えないもの」
「うん、リーザの言うとおりだよ。ヨア兄ちゃんも神父さまも、絶対に人間だよ!」

 ジムゾンとヨアヒムが、その言葉に互いに顔を見合わせて、何とも言い表せない、曖昧な笑いを浮かべた。
 子供達から寄せられる信頼は心地の良いものではあるが、互いが人間であるとは信じられぬ――いや、穏やかな対立関係を築いている相手と、一括りにされて信頼されるのは、どのような気分なのだろうか。恐らくは、ほぼ同じ立場に立った者同士、自らと相手の感情が似たようなものである事を無意識に感じ取って、そんな表情を浮かべたのだろうか。

「そうですねえ、私もそれで良いと思いますよ。三人が裏で繋がっているとも思えませんしね。商売柄、人を見る目はあるつもりですよ?」

 アルビンが、おどけて笑みを浮かべた。その場の全員が、小さく笑う。
 これで、全員が発言を一通り終えた事になる。

「……それじゃ、あたしが人間っていう事でで良いんだね、皆。ああ、ヤコブとパメラ、最後はあんた達が決めるんだよ。
 皆から人間と認められてるのは、今のところあんた達だけだ。あんた達が、神父とヨアヒム、私を疑うっていうんなら、私は大人しく処刑されるけどね」

 ヤコブとパメラの兄妹が、僅かに視線を交錯させた後、首を振った。

「そうかい、信じてくれるんだね。それじゃ……そうだねぇ、若いあんた達に任せるのも酷だろ、あたしが会議を纏めようか」
「あ……お願い出来るべか?」
「ああ、任せておきな。あんた達に信頼してもらったんだ、それに応えなきゃ女がすたるってもんだよ」

 不満げな表情を崩さないヴァルターも、これには異論を挟まなかった。少なくとも、レジーナの能力は認めているらしい。村は、まずは一歩前進した事になる。

「よし、決まったようだな。そんじゃよ、今日ヨアヒムと神父に誰を調べて貰うか、そいつを決めようじゃねぇか」

 ディーターは、議論を促す為に立ち上がり、手を打ち鳴らした。村人には明かしていないが、ディーターは、街の裏側では一目置かれている集団の首領だ。人を纏める事には手馴れている。
 何より、村人として確定されたレジーナと同様、ディーターは、村の中で自らが議論をリードする役割である事を自任していた。

「……それじゃあ、僕はディーターさんを挙げようかな。発言力がある人は、調べておきたいし……」

 口火を切ったのは、オットーだった。それも、挙げた名前はディーターだ。

「酷いや、オットーさん! ディー兄が人狼のわけないじゃないか! 僕、オットーさんを調べて欲しい!」

 ペーターの言葉に、オットーは苦笑を浮かべて頬を掻いた。そのオットーに続いて、カタリナとヨアヒムがディーターの名を挙げた。

「うん、俺もそう思うよ。ディーターさんが人間なら、レジーナさんと一緒に会議を引っ張ってくれそうだ」
「そうですね……私も、ディーターさんを調べて頂きたいです。人間だと判れば頼りになりそうですし……」

 自分が調べられる事になるか、ディーターがそう思った時だ。その流れを止める声があった。村の長老、モーリッツだ。
 モーリッツは、軽く咳払いをした後に、諭すような口調で喋り始めた。

「皆には、よく考えてもらいたいんじゃがな……昨日、レジーナが襲われたっちゅうのは、皆聞いておるな?
 つまり、人狼はじゃ。人間だとされる者を襲って来る可能性が高いちゅう事じゃ。人狼も考えておるという事……それに、この中に人狼が紛れてる、っちゅう証明でもある」

 その通りだった。昨日、ディーターとトーマスが主張したような、人狼は村人達ではなく村の何処かに隠れ潜んでいるのではという可能性は、調査先のレジーナが狙われた事で、否定されたのだ。
 モーリッツは、更に続けた。

「確かに、ディーターは人間なら頼もしい味方じゃろ。じゃが、人間だと確定してしまえば、人狼に襲われてしまう可能性もあるっちゅう事を、考慮するべきではないかな?」

 他人を酒の肴にし、しばしば周りの苦笑を買うような、普段のモーリッツ――ディーターがモーリッツと会うのは、主に酒場だが――からは想像の出来ない姿だった。
 だが、その一見正しいと見える意見にも、欠点がある。

「モーリッツさん。それは、人狼に襲われても良い人間を挙げた方がいい、という意味でしょうか?」
「あ、いや……そういう意味ではありませんぞ。そういう考え方は危険じゃ、と言っとるだけですじゃよ、神父様。
 ……そんなわけで、儂はカタリナを挙げておこうかの。なんちゅうか、オットーとヨアヒムの意見に、巧く乗った気がするでな」

 咎めるような口調のジムゾンの指摘に、モーリッツが慌てて弁解した。
 怖いもの無し、傍若無人の感すらあるモーリッツだが、神父たるジムゾンにだけは頭が上がらない。モーリッツは、毎日の祈りを欠かさず行う信心篤い人間なのだ。

「そうですか……わたしは、ニコラスさんを調べて貰う事を希望します。やはり、この村の方ではありませんし……」

 そのジムゾンの言葉に、一斉にニコラスに視線が集まった。ニコラスがこの村に来た直後に始まった、この人狼騒動。深く考えずとも、ニコラスに疑いが向くのは当然の事だった。
 ニコラスはその視線には答えず、黙って肩を竦めてみせただけだった。ディーターはそれを、決定を委任する意であると、正しく理解した。

「ほら、次はあんたの番だぜ。アルビンさんよ」

 様子見をするように辺りを見回していたアルビンに、ディーターは意見を促した。その口調が僅かに棘を含んでいるのは、気のせいではない。
 実のところ、ディーターはアルビンが余り好きではなかった。苦手と言っても良い。商人らしく、明るく愛想は良いのだが、その裏で何を考えているのかが、全く判らないのだ。
 様々な人間を見、接してきたディーターにとって、表情から感情を読み取れない人間というのは少ない。それは不気味な事であり、自らより駆け引きが上手である相手という事だった。

「そうですねえ、私もニコラスさんで。私が言えた義理でもないのですがね、村人でないというのは。訪れたタイミングも、そうですし」

 無難な回答だ、ディーターは心中でそう吐き捨てた。やはり、アルビンを好きにはなれそうもなかった。

「おらは……カタリナさんを調べて欲しいだよ。人狼なんかであって欲しくねぇだ」
「……兄さん……あ、私はディーターさんで。理由は、皆と大体一緒です」

 パメラが、溜め息を吐いた。そのパメラの溜め息の意味を理解出来たのは、モーリッツとディーターだけだったろう。二日前の酒の席で、ディーターはその話をモーリッツから聞いていた。もう一人、それを知っていたゲルトは、既にこの世には居ない。

「リーザは……村長さまを調べて欲しいです。村長さま、なんだか昨日から凄く怖いから……」

 リーザの怯えるような視線が、ヴァルターへと向いた。
 流石に、子供にそのような眼で見られた事は衝撃だったのか、ヴァルターは気まずそうに眼を逸らした。

「……余所者を調べたいところだが……死体を見分ける能力は惜しい。ディーター、貴様を挙げておく。
 本音を言えば、貴様のようなならず者など、調べるなどと面倒な事は省いて、処刑してしまいたいのだがな」
「そうかい、配慮して頂いて助かるぜ」

 ヴァルターの表情が歪む。それを察したレジーナが、ディーターへと話を振った。

「ディーター、あんたで最後だよ。あんたの希望は?」
「アルビンだ。商人ってのは、どうにも胡散臭くていけねぇ。昨日、一番最初に村長とトーマスの間に入ったのも気になるしな」

 言い掛かりにも程がある。ディーターは、自嘲気味に僅かな笑みを唇の端に浮かべた。
 だが、それを受けて発せられたレジーナの決定は、ディーターを驚かせた。

「そうかい。それじゃあ――神父にヨアヒム。今日調べるのはアルビンだ、頼んだよ」

 僅かに空気が動いた。ヴァルターが腰を上げたのだ。

「馬鹿馬鹿しい、何をどうしたらそういう結論になるのだ」
「……そうじゃのお、皆の意見とは随分と離れとる気がするがの」

 ヴァルターとモーリッツの発言は、恐らくはレジーナ以外の全員が思っている事の代弁だろう。
 ディーターを調べる事を希望した人間が五人。ニコラス・カタリナが二人。そして、ヴァルター・オットー・アルビンが一人づつ。
 そこからアルビンというのは、完全な独断ではないにしろ、それに近いものであるのは確かだった。

「落ち着きな、ちゃんと理由はある。まず、ディーターは、爺さんの言った理由で避けた。
 カタリナとニコラスは、ヴァルターの言うように、人間だと確定して襲われるのは惜しい。そんなわけだよ」

 自分の言葉を持ち出されては、ヴァルターとモーリッツも納得する他は無かった。元々、レジーナを信頼しているだろう若年層は、その説明で大方が納得したようだ。

「判りました。ではヨアヒムさん、血は後で――」

 アルビンがそう言った時点で、この話は自動的に終わった。後は、そう。

「今日の処刑――か」

 思えば。この時、既にディーターも麻痺していたのだろうか。
 誰一人、処刑に反対する人間は存在しなかったのだ。



 結局、処刑先は投票で決める事となった。
 誰もが、誰かを名指しで処刑先に挙げる事を避け、議論が進まなかったのだ。
 それは、村人の中に残った最後の良心だったのかもしれない。記名投票では、同じ事かもしれないが。

「それでは、開票する……皆、良いな?」

 沈黙を肯定の意と受け取ったヴァルターが、投票箱を全員の目に見える卓の上へと移動させる。
 開票を行うのは、レジーナではなかった。ヴァルターが、村長の責務として行うのだ。

「まずは……ニコラス、投票先はヴァルター」

 一票目に読み上げられたのは、ニコラスの投じた票だった。
 ヴァルターの眉根が僅かに動いた。村人達は、自らの名前が挙がらなかった事に胸を撫で下ろした。

「次だ。モーリッツ、投票先はカタリナ」

 俯いていたカタリナが、反射的に顔を上げる。その顔色は蒼白だった。
 癖の強い金髪が、その持ち主の心の動揺を表したように、ゆらゆらと揺れている。

「ヴァルター、投票先はディーター」

 ディーターは、自らの名が挙げられても動じなかった。むしろ、彼を慕うペーターとリーザの方が、動揺していただろう。
 次の開票で、宿に小さな衝撃が走った。

「これは……投票者ディーター、投票先……アルビン」

 調査対象への投票。異端を見るような視線が、何本もディーターに突き刺さった。ディーターは黙って腕を胸の前で組み、その視線を意にも介さず、強い意志を持って一点を見詰めていた。
 その視線の先である、アルビンの仮面が剥がれる事はなかった。いや、困惑したような表情を浮かべてはいる。しかし、ディーターにはそれが作られた表情だと思えた。

「まあいい……ヨアヒム、投票は……ヴァルター」

 ヴァルターに二票目が入った。 呆れたように首を振るヴァルター。この時点で、ヴァルター二票。カタリナ・ディーター・アルビンに一票づつ。残る票は、九票。

「ペーター、投票ヴァルター。オットー……も、私か。アルビン、投票先ヴァルター……馬鹿な……!」

 ヴァルターの頬に、脂汗が伝った。その表情からは倣岸な余裕は消え、代わりにヴァルター本来の気質である、臆病さが顔を覗かせていた。
 それも当然。全十四票中、八票の開票が済んだ段階で、ヴァルターへの投票は5票に達している。これが何を意味するかは、ヴァルター自身が良く判っていた。

「カタリナは……これもか! 馬鹿な、馬鹿な……リーザ、ヤコブ、お前達まで――!?
 こんな、こんな筈が。わ、わた、私はこの村の村長だぞ? ……そうだ、レジーナ、レジーナの票は!?」

 投票を読み上げるヴァルターの手は、傍目に見ても判るほどに震え、顔は蒼褪めている。
 誰もが、ヴァルターと目を合わさぬよう、視線を逸らしていた。
 地獄に垂らされた蜘蛛の糸に縋るように、投票箱を引っ掻き回すヴァルター。その肩に、レジーナがゆっくりと手を置いた。

「――ヴァルター、あんた、票を良く数えてみな……おしまいだ。それと――あたしも、あんたに投票したよ」

 僅かに憐憫を含んだ声で、レジーナが告げた。
 壊れた機械人形のように、ぎこちなく振り返ったヴァルター。レジーナは、その虚ろな目を暫し見詰め、理解した。
 彼女の幼馴染だった男は、既にその精神を彼岸へと渡らせていた。レジーナは、ほんの僅かな間瞑目し、かつては恋仲になった事もある男の死を悼んだ。
 彼が正気を手放したのは、溺愛していた息子を失ったからか。それとも、単なる死の恐怖からか。
 いや、判っている。原因は自分達だ。ヴァルターは、心の何処かで村人達を未だ信じていたのだろう。だからこそ、村人達から切り捨てられたことで、ヴァルターの精神は肉体よりも先んじて、毀れてしまった。

「やれやれ……手の掛かるところは、あんた、昔から全然変わっちゃいないねぇ……」

 口を開く者は無い。
 レジーナの、柔らかで哀しい声だけが、その場の全てだった。








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