満月の夜に捨てる嘘



「――兄さん。良い夢見ているところ悪いけどさ。御飯、もう出来てるんだけど」

 想い人の出てきた夢。その中で、ヤコブはプロポーズを行ったところだった。
 情け容赦の無い妹の所為で、その返事を聞くことは出来なかったが。


4日目 兄妹の想い

 ヤコブは炙った干し肉を噛み締めながら、スライスして軽く焼いたローゲンブロートを齧った。
 寂しい食卓だった。卓の上には、他には、塩胡椒で味付けしただけのジャガイモのスープが乗っているだけ。
 パンの量だけは多いが、これはヤコブと二十年来の友人であるオットーが、特別に安く売ってくれているものだ。
 ここ最近、ヤコブは食事の度にオットーとパメラへの罪悪感を感じている。
 これも、引き出しの中に眠っている小さな木箱の所為だった。
 その木箱の中身と引換えにモーリッツに渡した代金は、取るに足らない額ではあったが、ヤコブにとっては金額の多寡は問題ではなかった。
 只でさえ、妹のパメラには迷惑を掛けている。毎日の食事も当然ながら、ゲルトやヨアヒムの酒の誘いを、パメラがずっと断り続けていたのを、ヤコブは知っている。
 勿論、パメラにしてみれば、ヤコブが出稼ぎに出れなかった理由は、自分の病気にあるのだから、当然といえば当然の事ではあった。
 それでも、ヤコブは責任を自分に求めた。自分がもっとしっかりしていれば、何とか仕事に就く事も出来ただろうと。そうしていれば、パメラに友人と遊ぶ程度の金は用意してやれたのに、と。

「……兄さん、そういえば」

 黙々とパンを咀嚼するヤコブに、パメラが声を掛けた。ヤコブは食事の手を止めて、目線で先を促した。

「あのさ……好きな人が人狼だったら、どうする?」
 たった今、咀嚼したパンを飲み込もうとしていたヤコブにとって、これは不意打ちだった。
 畑を耕していて、思い切り振り下ろした鍬が、埋まっていた石くれに当たる位の不意打ちだ。
 思い切り咳き込んだヤコブは、涙目になりながら、喉に詰まったパンを薄いスープで流し込んだ。

「……い、いきなり、なんだべか!?」
「別に……好きな人じゃなくても、良いんだけど。その人だけは違う、って信じてた相手が人狼だったら……
 そうだなぁ……兄さんなら、オットーさんとか……どうする?」

 パメラの視線には、他意は感じられなかった。
 自分の単純さと紛らわしい発言をしたパメラを恨みつつ、ヤコブは一歳半年下の幼馴染の顔を思い浮かべた。
 オットーと初めて会ったのは、パメラが生まれて間もなかった頃。ヤコブが六歳のときだった。
 妹が出来た喜びと、それまで受けていた両親の歓心の対象が妹へと移ったこと。その複雑な思いから、ヤコブは陽の出ている間は、殆ど外で遊んでいた。
 その日も、ヤコブは夕暮れ近くまで他の子供達と一緒に遊んでいた。いつものように、広場から家に帰る途中。村に一つしかないパン屋の前を通った時だ。
 店の主人の怒鳴り声が響き、頬を赤く腫らして目に涙を浮かべた少年が飛び出してきた。ヤコブはその時初めて、パン屋に、自分と同年代の子供がいたことを知った。
 呆気に取られるヤコブに一瞥もくれず、少年は村の外へと走っていった。理由も無く、ヤコブはそれを追って走り出した。
 少年は、村外れの川のほとりで寝転がっていた。
 ヤコブが近付くと、少年は身体を起こして、怪訝そうな顔でヤコブの事を見詰めたものだった。
 ヤコブが名乗ると、少年もオットーという名で応じた。互いの事を語り合う内、すぐに二人は意気投合した。互いの置かれた環境を慰め合い、また、互いの親に対して憤慨した。
 二人は辺りが暗くなっても家路に着かず、川のほとりで星を眺めながら語り続けていた。その為、村中が二人を探して駆け回る騒ぎになり、二人は其々の親に酷く叱られたものだった。
 だが、二人はそれから親友となった。それは、二十年近くの時が経った今でも変わってはいない。ヤコブにとって、血を分けたパメラのほかに誰かひとり、絶対に信じる相手を挙げろといわれれば、それはオットー以外ではありえなかった。

「……オットーが人狼のわけねえべよ。オットーは、おらに隠し事なんてした事ねえだ」

 その口調は、幾分か尖ったものになっていたのだろう。パメラが慌てて口を開いた。

「ああ、オットーさんが人狼って疑ってるわけじゃなくて、例えばの話だってば」

 妹の言葉に顔をしかめ、ヤコブは即答した。

「例えにしたって、考えたくもねえだ。おめえだって、ヨアヒムやゲルトが人狼だなんて……」

 言い掛けて、ヤコブは口を噤んだ。パメラの友人であるヨアヒムとゲルト。そのゲルトは、もう居ないのだった。自分の迂闊さを呪って、ヤコブは頭を抑えた。
 そんなヤコブに、苦笑を――酷く辛そうな、壊れそうな苦笑を浮かべて、パメラが答えた。

「やだな、兄さん。人狼に襲われたゲルトが、人狼なわけないじゃない。
 ヨアヒムだって……さ、兄さん。早く食べちゃおうよ。スープ、冷めちゃうから」

 黙って頷いて、ヤコブは食事を続けた。
 それ以上、妹に声を掛けることが出来なかったから。



 食事を終えて、暫く経った頃。
 来訪者を告げるノックの音が響いた。ゲルトが人狼の犠牲となった日から、昼間でも、戸には鍵を掛けている。
 立ち上がろうとするヤコブを制して、パメラが戸へと向かった。扉を開ける音と共に、興奮したヨアヒムの声が、耳に飛び込んできた。

「おはよ、パメラ。聞いてくれ、良いニュースだよ。やったよ、 文献の通りだった」
「え、と……何が?」
「アルビンさんだよ、アルビンさん。彼は人狼だよ、間違いない」

 人狼。耳に届いたその言葉に、ヤコブは自然に席を立っていた。

「……そうなの? でも、神父様の結果も聞いてみないと……」
「大丈夫さ、絶対に合ってるよ。神父様が違うと言ったら――それは神父様も人狼だって事さ」

 戸口に立って会話をする二人。捲くし立てるヨアヒムに、気後れ気味のパメラ。
 そのパメラの表情に、困惑以外の何かがある事に、横からその会話を眺めていたヤコブは気付いた。
 それは、僅かなものではあったが――。

「――ヨアヒム、ちょっと落ち着くだ。パメラに言っても始まらんべ。まずは宿行って、皆に知らせるべきだべよ」

 喋り続けようとするヨアヒムを制して、ヤコブは口を開いた。それは全くの正論だった。
 ヤコブの指摘を受けて、ヨアヒムは平静を取り戻したようだった。

「と、そうですね。じゃあ、一緒に宿に――」
「ああ……すまんけど、先行ってて欲しいべ。おらが寝坊したもんだから、まだ朝飯食べてねぇだよ」

 ヨアヒムの言葉を遮って、ヤコブは言った。
 勿論、それは嘘だった。彼らは、少し前に朝食を食べ終えている。
 ヤコブの陰で、パメラが僅かに表情を変えたが、ヨアヒムはそれには気付かなかった。

「あ、そうなんですか。すみません、食事前に騒がせちゃって。それじゃあ、僕は先に宿の方へ。……パメラ、また後で」

 ヤコブが嘘を吐く事など、滅多に無い。その為か、ヨアヒムはヤコブの言葉を素直に信じた。
 申し訳なさそうに頭を一度下げると、ヨアヒムは辞した。恐らくは、その足で宿へと向かうのだろう。

「……兄さん」

 迷いを顔に浮かべて、パメラが躊躇いがちに口を開いた。

「……ああ。もう朝飯食べてたべな、忘れてたべよ」

 余りにも、出来の悪い嘘。それはパメラも判っている。これは、それ以上は言うな、という合図。
 実際、口にせずともヤコブは悟っていた。パメラは、ヨアヒムを疑い始めているのだろう。ヤコブにできるのは、ただ、パメラの結論を先延べにしてやることだけだった。








 ――それを最初に発見したのは、ペーターだった。
 ジムゾンに連れられて、宿へと向かう途中。道の脇に立つ小さな農具小屋に、それはあった。

「……ぁ……?」

 立ち竦むペーターに、何事かとジムゾンは駆け寄って――叫んだ。

「――リーザ!! こちらへ来てはいけません!!」

 神父という仕事柄、幾つもの死体を目にしてきたジムゾンですら、口元を抑えるほどの光景だった。
 それは、死体と表現する事が、辛うじて可能なレベルのものであった。
 左胸には大きな孔が空き、一文字に裂けた腹からは、腸が飛び出している。腕も脚も、存在していなかった。
 その程度であれば、それは人間の死体だ。
 だが――壁にもたれ掛かったその死体には、顔がなかった。いや、口だけは残っていた――ただし、下顎だけ。
 それより上の部分は、何処にも存在していなかった。並んだ歯に塞き止められた血の池に、煙草のヤニに染まった舌が浮かんでいる。
 ――そして。砕けた木の壁には、燃えるような赤毛を生やした頭皮が、べったりとこびり付いていた。
 そう。それは、ディーターという人間の残骸だった。







「……冗談じゃありません! 私が人狼だなんて、そんな出鱈目を言わないで下さい!!」

 怒りに顔を染めたアルビンが、椅子を倒して立ち上がった。
 宿に全員が集まったあとで、ヨアヒムが昨晩の結果を誇らしげに発表したのだ。アルビンは人狼だった、と。
 アルビンへ集まる視線が、得体の知れぬ怪物を見るものへと変わろうとした、その時だ。

「……そうですね、ヨアヒムさんの結果は出鱈目です。主は昨晩、わたしにアルビンさんが人間だとお告げ下さいました」

 ジムゾンの落ち着いた、だが力強い言葉が、その流れを鎮めた。それは、ヨアヒムの出した結果と、真っ向から反発するものだった。
 目をスッと細めて、ジムゾンは穏やかな笑みを浮かべて、言い放った。

「罪無き者に、人狼などと……人狼への恐怖か、皆さんからの期待の重圧かで気を違えてしまったのでしょうね。
 ――それとも、誰かに良いところを見せようとして、嘘を吐いたのか。どちらにせよ、哀しむべき事ですね」

 その笑みと発言は、不敵……いや、挑発と表現しても良いものだったかもしれない。
 少なくとも、ヨアヒムにはそう思えたのだろう。ジムゾンの元に歩み寄って、しかと目を見据え、睨み合った。
 『貴方は嘘を吐いている』と言われて『はい、そうです』と認める者は居ない。人間か人狼かに関わらず。
 しかし、それを考慮しても、ヨアヒムの取った行動は、村人達を驚かせるに十分なものだった。

「――ふざけるなっ!」

 骨と骨との衝突する、硬い打撃音。ジムゾンの左頬に、ヨアヒムの拳が叩き込まれていた。
 線が細いとはいえ、ヨアヒムも若い男には違いない。それなりの膂力はある。
 手加減も一切無しで放たれた一撃は、ジムゾンの身体を後方のテーブルへと叩き付けた。
 物静かな普段のヨアヒムからは想像も出来ない行動に、一同は呆気に取られていた。
 それに反応し、止める事の出来た者は居なかった。唯一できたかもしれない男は、今朝、死体となって発見されていた。
 木のテーブルに手を付いて、ふら付いた身体を支えるジムゾンに、更に掴みかかろうとするヨアヒム。
 そこで、周囲の人間はやっと我に返った。それまでの光景を呆然と見詰めていたヤコブも、ニコラスやオットーと共に、慌てて二人の間に止めに入った。

「落ち着くべ――!」

 腕を捩じ上げられ、テーブルに押し付けられながらも、ヨアヒムはギラ付いた視線をジムゾンに向ける。
 口中を切ったのか、口元に僅かに垂れる血を拭ったジムゾンは、その様子を見下ろして、軽く息を吐いた。

「……暴力に訴えるのは感心しませんね。皆さん、会議の続きはヨアヒムさんが落ち着いてからに致しませんか?」

 ジムゾンの言葉に、皆が頷いた。
 レジーナの配る水を、皆が手に取る中。足音も荒く、ヨアヒムが宿を出た。
 その背を見送ったパメラの目に、僅かに涙と――恐怖の色が浮かんでいたのを、ヤコブは見逃さなかった。



 川縁に寝転びながら、ヤコブは茹でただけのジャガイモを齧った。
 宿のテーブルに座ったまま動かないパメラをレジーナに任せて、自宅で昼食を用意した結果がこれだった。
 溜息を吐いて、思考を巡らせる。
 察しが悪い自分でも、今ならば判る。トーマスが、ヨアヒムがパメラに惚れていると言ったのと同様。パメラも、ヨアヒムを好いていたのだと。少なくとも、こうなってしまう前までは。

「どうしたもんだべかねえ……」

 ヤコブはパメラが人間であると知っているし、皆もそれを認めている。
 だが、アルビンの正体を巡ってジムゾンと対立し、感情的に暴力に訴えたヨアヒムはそうではない。人間だと、証明されてはいない。

「少なくとも、どちらかは間違ってるって事だべ……」

 ――それが、単なる間違いならば、どれほど良いか。
 レジーナの証言から、人狼は最低でも二匹は存在する事が判っている。それを考えれば、今は、人狼の偽証という可能性を疑わざるを得ない状況なのだ。
 そして、ヨアヒムが正しいのならば、アルビンとジムゾンの双方が人狼であるという事にもなる。
 そうならば、ジムゾンがアルビンを人間だとするのは、繋がりを露呈する危険な行為なのではあるまいか。
 偽りを述べれば、ニコラスとカタリナの死者の正体を調べる術によって、偽証が明るみに出る。
 そう考えると、ヤコブの結論はヨアヒムが偽の結果を述べている、という結論にならざるを得ないのだ。

「難しいべなあ……」

 再び、大きな溜息が口をついた。
 妹の幼馴染で、自分も小さな頃から知っている青年。四年ほど村を離れていた間に、何かあったのだろうか。ヤコブの知るヨアヒムは、あのような乱暴など絶対にしない性格だったのだが。

「――ヤーコブ。やっぱり、此処かい。こんな良い天気に、溜息なんて似合わないよ?」

 頭上からの声。声の主によって日光が遮られ、寝転ぶヤコブの周辺が影となる。
 逆光の中、土手を滑り降りてくるオットーの姿が、視界の端に映った。その手には、小さなバスケットがある。

「店から、パン持ってきたんだけど。食べるよね?」

 黙って伸ばした手に、粉砂糖の塗されたやや小振りのベルリーナーが手渡される。

「……昼飯に喰うもんじゃねぇべな。まあ、貰うけども……」

 そのセレクトの妙に首を傾げながらも、それに齧り付いて――吐いた。
 本来ならば、ジャムやマーマレードが入っている筈の揚げ菓子。だが、たった今ヤコブの舌に届いた味は、強烈なマスタードのそれであった。

「……げはっ……こ、こりゃあ……オ、オットー!」

 思い切り咳き込んだヤコブは、鼻と目からありったけの水分を垂れ流した。
 大笑いをするオットーが差し出した瓶を、ひったくるように奪って喉に流し込む。流石に、その瓶の中身は普通のワインだった。

「あはは……見事に引っ掛かったなあ。ふふ……ちょっとは、疑う事を覚えた方が良いよ?」
「……っはあ……まさか、おめぇがこんな悪さするなんて思わねぇべよ。冗談じゃねぇべ、まだ喉がヒリヒリするだ……」

 手の甲で目尻と鼻を拭いながらぼやいたヤコブに、笑いを噛み殺したオットーが、真顔で言った。

「と、いってもね……僕が人狼だったなら、今のに毒入れるなりなんなり、あるわけだしさ」
「……それこそ、冗談じゃねぇだ。よりによって、おらがおめぇを疑うとでも思ってるべか?」

 大真面目な顔で、オットーを睨み付けるヤコブ。僅かな視線の交錯の後、オットーが表情を崩して溜息を吐いた。

「全く……その単純さは、羨ましいよ。……でも、信じてくれて嬉しいよ。ありがと」

 人好きのする柔らかな微笑みを浮かべて、蓋を開けたバスケットを地面に置くオットー。
 中身を覗いてみれば、程良く焼き色の付いたソーセージが数本に、脇に添えられたザワークラウト。半分に割られたゼンメルの横には、見事な網の目のツォプフ。そして、岩塩の粒がたっぷりと付いたブレッツェル。
 その用意の良さには、呆れるしかなかった。

「……なんちゅうか……おめぇ、生まれる性別を間違えてるべ、絶対」
「はは。女に生まれてたら、ヤコブのとこに嫁に行ってたかもね」

 先刻のベルリーナからマスタードを掻き出し、ソーセージに絡めて、たっぷりのザワークラウトと一緒にゼンメルに挟んだ。
 その即席のサンドイッチを口に運びながら、ヤコブは今朝パメラに問われた質問を思い返した。
 もしも、この目の前で微笑を浮かべている親友が人狼だったならば――自分は、どうするのだろうか。
 オットーが、鋭い牙と爪で人を屠っている。人狼と言われたオットーが、絞首台に掛けられる。ヤコブはそんな場面を想像しようとして、止めた。
 自分の隣に寝転んで、カリカリとブレッツェルを齧っているオットー。出会ったばかりの頃も、背がぐんぐんと伸び始めた頃も、互いが一人前の男として働き始めた頃も、あの疫病の頃も――この川縁で、同じように過ごしてきた。
 その思い出と、全く変わらず傍にあるオットーの姿。ヤコブには、やはり、オットーが人狼だなどとは思えなかった。他の誰がオットーを疑おうと、自分だけは信じよう。そう、ヤコブは心に決めた。



「ああ、オットー……ヨアヒムのこと、どう思うべか?」

 久々の甘味であるツォプフを頬張りながら、ヤコブは現在の一番の懸念を口にした。
 ヤコブは、人狼ではないと信じた親友の意見を聞いておきたかった。

「……そうだね。神父様とアルビンさんが、二人して人狼って事は考え難い……でも、アルビンさんは助けられないと思う。
 人狼でないと、証明する術がないし……人狼とされたアルビンさんを、処刑しない理由がない……」

 口篭ったオットーの結論は、ヤコブの考えと同様だった。ヨアヒムが本物である場合を考えると、アルビンは処刑せざるを得ない。
 図らずも自分の考えを後押しする形となったオットーの言葉で、ヤコブの腹は決まった。

「けど……辛いだろうね、パメラも」

 何度目になるか判らない溜息を吐いて、オットーが言った。
 その言葉の意味が示すところは、ひとつしかなかった。

「……知ってただか?」
「そりゃあ……見てれば判るよ、そのくらい。僕にとっても……そう、妹みたいなものだし、ね」

 好いた相手を信じ切れない、疑わざるを得ない。ヤコブの乏しい想像力でも、そのパメラの心情は痛いほどに良く判った。その哀しみを代わってやれるものなら、代わってやりたい。
 やり切れないね、と――オットーは天を仰いだ。ヤコブも、全く以って同感だった。



 ――幾らかの間の後、オットーが口を開いた。

「ああ……ヤコブの相手もね、知ってる」

 沈黙が、走った。

「お、おらは別に……だども、カタリナさんは清楚で物静かで、その……」
「……へえ。想い人はカタリナさんか。なるほどねぇ……」
「んな……!? 騙したべか!?」
「いや、こないだ、パメラに聞いたんだ。からかっただけだよ」
「……ぬぁぁぁ……」





「それじゃあ、再開するよ。……大丈夫だね?」

 レジーナの確認に、ヨアヒムが頷いた。休憩を挟んで、幾分か落ち着いたようだ。
 しかし、先刻の騒ぎは確実にヨアヒムの心証を悪くし、信頼を落としていた。
 リーザとペーター、子供達の反応はいつだって正直である。彼らはヨアヒムと視線が合うと、怯えたようにそれを逸らした。

「……ええと……ヨアヒムさんと神父様のどちらを信用するかに関わらず、ここはアルビンさんを処刑すべきかと思います。
 そうすれば、どちらが正しいのか私とニコラスさんには判りますから……」

 沈黙を破って、カタリナが言った。その言葉に、ニコラスも大きく頷いた。
 成る程、そういう見方もある。ヤコブは納得した。オットーとの会話では、出なかった考え方だった。
 レジーナやモーリッツも、カタリナの言葉に納得顔を示している。
 アルビンを処刑して、カタリナとニコラスの結果を待てばいい。それで、相反する結果を出したヨアヒムとジムゾンのどちらが本物か、その情報を得る。
 だが、その案に首を縦に振るわけには行かない男がいる。アルビン当人だ。

「ちょ……冗談じゃありませんよ! 私は炭鉱のカナリアじゃない……なんだって、そんな理由で殺されなくちゃならないんですか!」

 取り乱すアルビンを、満足気に見下ろす目があった。無論、アルビンを人狼だと告発したヨアヒムだ。

「見苦しいよ、アルビンさん。諦めて、潔く罪を償ったらどうだい?」
「な……あんな出任せを言っておいて、よくも恥ずかしげもなく……!」

 先程と同じ光景が、繰り返されようとしていた。
 そして、レジーナは二度目を見逃すほど寛大ではなかった。

「……あんたら!! 喧嘩なら外でやりな! この宿の中じゃ、暴力沙汰も罵り合いも許さないよ!」

 烈火の剣幕で、レジーナが言い放った。その怒声は、その場の全員を凍り付かせるのに充分な迫力を備えていた。

「……いいかい? あたしらは、人狼を探す為……村を滅ぼさない為に話し合いをしてるんだ。それを忘れないようにね」

 全員の顔を見渡しながら、ゆっくりと諭すレジーナに、異論を唱える者は居なかった。
 皆が頷いたのを確認して、レジーナは満足気に微笑んで、再開を促した。

「ふむ……まずは、誰の正体を調べるかを先に決めるとせんか?」

 静まり返った中、口火を切ったのはモーリッツだった。
 その提案に、ほぼ全員が頷いた。嫌な決定は、先延ばしにしたいのが人情というものだった。

「……そうですね。この子達が、あらぬ疑いを掛けられて処刑されるなど、あってほしくありませんし……リーザで御願いします」

 子供達を慈しむように視線をやって、ジムゾンはリーザの名前を挙げた。ジムゾンの瞳は温かだったが、哀しみの色があった。
 村が滅びぬ為とはいえ、小さな子供までも疑いの対象とし、場合によっては処刑せねばならない。それは、悲惨である。

「うん……僕も、神父さまと一緒。リーザが人狼のハズないけど……」

 ペーターが、リーザをチラリと見て言った。その声には、微かに不安の音色が混じっている。
 その雰囲気を感じ取ったのか、リーザが表情を僅かに歪めた。リーザは、聡明な子供だった。

「……リーザは、おじいちゃんで……昨日、一人だけカタリナさんに投票してたから……」

 モーリッツは、死者の正体を調べられるというカタリナへと、その処刑票を投じていた。リーザは、その投票を指弾したのだった。年少ゆえに弁は立たずとも、それは感情的なものとは程遠い、ある種の推理に基づいた、説得力のある投票だった。リーザの言葉に、オットーとアルビン、そして少し遅れてヨアヒムの三人が続いた。

「ああ……そうだね。僕もそれは気になってたし……モーリッツさんで」
「確かに、あの投票は軽率と言わざるを得ませんね。私も、モーリッツさんを挙げさせて頂きます」
「人狼のアルビンさんが投票したから、人間だとは思うけど。散り際に仲間を売って信用を得ようって腹かもしれないし、念の為ね」

 モーリッツの髭が、小さく動いた。その口元が、笑みの形に歪んだように思えたのは、ヤコブの目の錯覚であろうか。
 いや……錯覚ではなかった。事実、モーリッツは笑っていた。

「ふぉっふぉっ……いや、こうも大勢が釣れるとは思わなんだな……そんなわけで、儂はオットーじゃ」
「別に、調べられるのは構いませんけど……そんなわけって、どんなわけですか」

 やや不満気なオットーの問に、モーリッツは目を細めて答えた。

「何、簡単な事じゃよ。撒き餌じゃよ、あの投票はな……」

 つまりは、目立つ事によって、安易な希望先を探している人狼を釣り出そうという事。アルビンは既に調べられ、ヨアヒムは自分を調べるわけにはいかない。リーザはまだ子供。そういうわけだった。
 その理由には納得したのか、オットーは引き下がった。その顔には、未だ不満が残ってはいたが。

「それじゃ……私は、ペーター君を。子供だから、仕方が無いのかもしれませんけど……狼を探しているようには思えないんです」
「……俺は御老人に乗ろう。パン屋の彼を」

 これで、希望の大半は出揃った。レジーナの目線が、ヤコブとパメラにも希望の提出を促した。
 ヤコブは、悩んでいた。ヤコブは、誰かを人狼と疑っているわけではない。皆が皆、人間に思えていた。選択肢は、そう多くない。ヨアヒムとジムゾン、カタリナにニコラスを除けば、あとは、子供ふたりとオットー、モーリッツだけだ。
 まず、ヤコブはオットーを選択肢から外した。オットーについては、人狼ではないと決め打ってしまうことに、ヤコブは決めていた。親友を信じた結果として死ぬならば、それでいい。無二の親友を疑って、失うべからずものを失ってしまうより、命を落とすほうがましだった。
 で、あれば。モーリッツ、だろうか。心情としては、子供を疑いたくはない。その程度の、ものだったが。
 ヤコブは考えをまとめ、口にしようとした。だが、先んじて、パメラの小さな呟きが響いた。

「……その、いいかな。私は……オットーさんを、調べたい……んだけど……」

 ヤコブは、傍らに座るパメラを振り返った。
 僅かに俯いたパメラの表情は、ヤコブの位置からでは髪に隠れて見えなかった。

「パメラ、おめぇな……」

 咎めるような声を発したヤコブに、パメラは顔を向けた。
 顔を上げたパメラの眼には、涙が浮かんでいた。ヤコブは、それ以上は何も言えなかった。

「……ごめん、兄さん。私の、我侭だけど……これ以上、親しい人を疑うのは。もう、嫌なの……」

 それだけ言って、パメラはテーブルに伏した。その肩は、小さく震えていた。
 ヤコブだけではなかった。皆が、声を掛ける事が出来なかった。
 パメラが疑っている相手が、誰の事であるのかは明らかだった。自然、幾人かの視線がヨアヒムへと向けられた。

「……パメラ、俺は人狼なんかじゃ……」
「触らないで――!」

 パメラの肩に置かれたヨアヒムの手が、勢い良く弾かれた。
 その、空しく乾いた音は。宿の中に、良く響いた。

「え……?」

 叩かれた手を見詰めて、呆然と立ち竦むヨアヒム。
 そんな幼馴染に対して、パメラは立ち上がって叫んだ。

「――私だって、あなたの事を信じたいわよ! けど、駄目なのよ!
 あなたが、さっきみたいに……神父様にしたみたいに、ゲルトや、ディーターさんを襲ったのかもって……。
 ……もう嫌よ、こんなの。……いつものヨアヒムに、戻ってよ。今のあなたは、怖いよ……信じられないよ!」

 胸の内を吐き出し終えて、パメラは宿の出口へと走った。
 それを即座に追う事が出来なかったのは、その衝撃の大きさ故だった。ヤコブは今の今まで、ここまでパメラが思い詰めている事に、気付いていなかったのだ。
 キイキイと、乱暴に開け放たれた宿の木扉が揺れる音だけが、暫く響いていた。

「……レジーナさん。済まねえけど……」
「ああ……行っておやり」
「あ、俺も――……」
 いま、ヨアヒムがパメラの元へいっても、逆効果でしかない。そんなことは、ヤコブにさえも判っていた。
 が、ヤコブがなにかする必要はなかった。いつの間にか席を立っていたオットーが、ヨアヒムの肩に軽く手を掛け、抑えていた。二言三言、なにごとかオットーが囁くと、ヨアヒムは力なく椅子へとへたり込んだ。
 溜息を吐いて、ヤコブは宿を後にした。ぼそぼそと再開された議論の声が、その背を追っていた。





『……嫌だ、助けてくれ! あんな出鱈目で……店を持てるまで、あとちょっとなのに……!
 っ、ぐぇ……あ、誰か、たす――』

 アルビンの処刑台の上での叫びが、ヤコブの耳にいつまでも残っている。
 苦痛と悔しさに満ちた顔。それらは、無言で死を選んだトーマスの潔い死と共に、村人達の心に暗い影を落とした。
 そして、最期の瞬間に遺された、誰一人として救いの手を差し伸べなかった村人達へ向けられた、呪いの視線。

 その呪いに中てられて、妖しげな光に満ちる月の下で、ただひとり。ヤコブは、誰にともなく呟いた。
 誰も答える事の出来ない、その問いを。

「――おら達のやってる事は、正しいんだべかねえ」
「さあ……」

 そう。判らない。答える事など出来ない。
 答え得る事が出来るとしたら、それは――いや、待て。
 何故。返事があるのか――

「――んなっ……!?」

 振り向いて。
 ――次の瞬間、ヤコブの思考は停止していた。







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