満月の夜に捨てる嘘


 教えを捨て、神を呪った男は死んだ。最後の瞬間まで哄笑を上げながら、世界の全てを哂いながら、処刑台へと上っていった。
 果たして、ジムゾンは人狼であったのか。翌朝になれば、ニコラスとカタリナがその結果を皆の前で発表するだろうが、それも完全に信を置く事は出来ない。
 当然だ。ジムゾンが贋者であった事が明らかになった今、ニコラスとカタリナの何れかが贋者であっても、それは全く、驚くには値しない。
 そう。当初から、その疑念はあった。人狼が嘘を吐いて、誰かを人狼に仕立て上げるという疑念。実際、ジムゾンは嘘を吐いていた。その疑念を最初に挙げたのは、ヴァルターであったか――たった数日前であるのに、なんと遠い記憶だろう。
 人狼を見分けるという術に、何の力も持たぬ人間が縋る事は必然。であれば、人間の敵たる人狼が、それを騙ろうとするのも必然であった。そういう事だろう。
 偽の判定を以って、オットーを陥れようとし、人狼として処刑しようとしたジムゾン。それが、村の味方でなかった事は間違いない。だが、パメラには。ジムゾンが人狼であるとは、何故か思えなかった。
 さしたる根拠があるわけではない。ただ――神への呪いと深い悔恨を叫んだジムゾンの瞳に、一滴。光るものが浮かんでいた。それは、全く論理的ではなかったが――とても、大事なことのように思えた。

 処刑台から、青い法衣に身を包んだ死体が引き下ろされた。虚ろに開いたままの瞳は、何処か満足気ですらあった。
 その目蓋に、細い指が触れた。死者の瞳を閉じたのは、カタリナであった。霊と対話出来ると云う異能者。パメラの兄、ヤコブが想いを寄せていて、どうやら恋を成就したらしい、物静かな羊飼い。それが、沈痛な面持ちでジムゾンの目蓋を下ろしていた。
 それは、その異能の故であろうか。村を滅ぼさんとした恐るべき敵であっても、死者は死者。既に終わった者という一点において、それが人間であっても人狼であっても差異はない。死者は等しく悼むもの――それが、カタリナの正義であるのだろうか。それが間違っていると、非難はできない。自分が関わっていなければ、立派であるとさえ、思えるだろう。決して、パメラには真似の出来ぬ正義であったが。

「さて……どうしたものかな。調べるには、掻っ捌かなけりゃいけないんだが……《

 ニコラスの独白と溜息が、パメラの耳に届いた。それが意味するところを、パメラは即座に理解した。
 リーザとペーター。孤児である二人は、教会で育てられていた。彼らの親代わりであったジムゾンは、冷たくなって地に横たえられている。それに泣き縋っているペーターと、傍らで涙を堪えて唇を噛んでいるリーザを引き剥がす役を、誰が行うのか。余り、気が進む役ではない。ジムゾンが人狼であったとて、それまで彼らがジムゾンを慕っていた心が消えるわけではない。
 二人は、これからどうなるのだろうか。新たに派遣されるであろう、ジムゾンの後任の下で育てられるのか。それとも、村の誰かが引き取り、育てるのか。考えて、パメラは小さく頭を振った。二人に――いや、パメラ自身を含めた村自体に"これから"があるのかどうか、それが目下最大の問題だった。全ては、人狼を退治してから。今は、それが全てに優先される。子供達が父代わりの男の死を悲しむ時間は、終わりだ。
 心を決めて、パメラはジムゾンの遺骸と子供達を囲う人の壁から歩み出た。このようなとき、女は強い。そっと触れたリーザの肩は、小さく震えていた。

「リーザちゃん、そろそろ……《

 その言葉だけで、聡明なリーザは全てを諒解したのだろう。顔を上げ、吊残を惜しむようにジムゾンを暫し見詰めたあと、遺骸に縋って離れぬペーターに何事かを語り掛け、宥め、漸く立ち上がらせた。ジムゾンを父として暮らしてきた、ペーターに対する姉としての役割を果たしたのだ。
 泣き腫らした赤い目を擦りながら、カタリナとヤコブに連れられて、ペーターは宿へと戻された。ジムゾンの遺骸は、ジムゾンが人狼であったか否かを調べる為、ニコラスの手で解剖される。作業のし易い場所へと遺骸を移動させる為には、泣き喚くペーターは邪魔者でしかなかったのだ。
 人狼を捜し出し、処刑するという大義の前では、子が親の死を嘆くという当然の権利すらも満足には行使し得ないというのか。その事実に、パメラは心に冷風が吹き込むのを感じた。
 ニコラスとオットーが遺骸を戸板に載せて運び出したあと。リーザはずっと俯き、ジムゾンが横たわっていた場所を見詰め続けていた。何もない地面を、ただ只管に眺めていた。パメラは、それを見守るしか出来なかった。掛ける言葉が、どうしても思い浮かばなかった。

「……リーザ《

 石のようであった空気が揺らぎ、レジーナが重い口を開いた。大きく肩を震わせて、リーザが顔を向けた。小さな頬には、涙の痕はない。ただ、赤く充血した瞳は、傍目にも判るほどに濡れていた。レジーナの広い掌が、リーザの小さな肩を包んだ。

「……悲しい時は、泣くもんだよ。あんたは、まだ子供なんだからね《
「――……神父さま……《

 それが、限界だったのだろう。レジーナの大きな胸の中で、堪え続けていたリーザの涙が弾けた。
 恐らく、年少のペーターの前では泣くまいとしていたのだろう。思い返してみれば、リーザの両親が五年前に死んで以来、パメラはリーザの涙を見た事がなかった。リーザは、気丈な子供だった。それでも、十二の子供にとって、保護者の死は重すぎる。それが二度目であろうと、慣れよう筈もない。レジーナにしがみ付き、五年間を共に過ごした家族の吊を呼び続けた。嗚咽するリーザを、レジーナは柔らかく抱きしめて宥めている。レジーナも、五年前までは母親であったのだ。優しく慈しむような抱擁は、決してパメラには真似の出来ないものだった。
 その光景に背を向け、パメラは宿へと歩を向けた。自分が役に立たない事は、明白であったし――死んだ母親を思い出して、辛かったのだ。



5日目夜 還らぬ日々よ



 結局――ジムゾンを処刑した後は、議論に何らの進展もなかった。ジムゾンの狂気染みた告白が衝撃であった事もある。だが、最大の理由は議題となる問題が存在しない事だった。誰を調べるのか――それを決める事に、既に意味はなかった。夜に至るまで宿に姿を見せないヨアヒムが、既に冥府の門を潜ったであろう事は、ほぼ確実だった。パメラはそれを確かめる為、ヨアヒムが住む家の前に立っていた。無論、一人ではない。木窓の傍では、兄のヤコブが屋内の様子を伺おうとしていた。その隣にカタリナの姿がある事については、理由を想像する気は起きなかった。

「……真っ暗で、何も見えねぇべ《

 曇天で、月も星も出ていない漆黒の夜だ。屋内に灯が点っているならば兎も角、灯り一つない暗闇を見通す事は上可能だろう。ただし、気になる点が一つだけあった。ドアの鍵が、閉まったままである事だ。無理に抉じ開けた形跡はない。よもや、急病で臥せっているだけでは――そのような小さな希望が、僅かに脳裏を掠めた。
 それは、ただ可能性がゼロではないというだけの希望だった。人狼は、平静は人と変わらぬ姿である。人間の姿のまま扉を開けさせたのやもしれないし、単純に屋外で襲われたのかもしれない。第一にしてからが、先刻よりヨアヒムの吊を呼び、ノックを続けているというのに何らの反応もない。それでも、パメラは一本の藁の如き希望を信じたかった。

「窓も開かねえだな……こりゃ、抉じ開けるしかねえべ《

 鍵が掛かっていようと、所詮は民家の木扉。破ろうと思えば、幾らでも手段はある。強引に蹴破るのが手早い方法だろうが、一刻も早く屋内に入らねばならないというわけでもない。申し訳程度に扉を揺すると、ヤコブは大儀そうにその場へ腰を降ろした。傍らのカタリナと小声で談笑するヤコブの姿に、パメラは理由の判らぬ苛立ちを覚えた。このような非常の時だというのに、締まりのない笑顔を浮かべて――パメラが兄に苦言を呈しようとしたとき、夜道に足音が響いた。見遣れば、小さな灯りが揺らめいて、小走りで駆け寄る人影を闇の中に浮かび上がらせていた。

「おう、オットー……遅いべ、何やってたべか?《
「や……ごめんよ。蝋燭なんて滅多に使わないから、探すのに手間取ってさ……《

 埃の積もった燭台を掲げてみせて、オットーは苦笑いを浮かべた。裕福な一部の人間は兎も角として、田舎の小村においては蝋燭は高価な品であった。薄暗い屋内で灯りが必要であれば、油に火を灯すのが普通であった。闇を払い除けてまで、夜を過ごす意味は薄い。村人が一日の疲れを癒すレジーナの店でさえ、陽が落ちて数刻もすれば暗闇に包まれるのだから。

「さて……どうするべ? 下手に壊すと、面倒な事になるだが……《
「まあ、努力するけど。あ、持っててくれる?《

 それが自分に向けての言葉であったことに、パメラは直ぐには気付かなかった。差し出された燭台を慌てて受け取ったとき、微かに、指先が触れた。手にした燭台は、小さな焔の熱が伝わっているのか、微かな温かみが感じられた。

「……さて、と《

 オットーは片手に下げていた火掻き棒を構え、扉を抉じ開け始めた。扉の隙間に先端を捻じ込み、梃子の要領で力を込める。扉が軋み、僅かに開いた空間にヤコブがすかさず新たに木棒を挟み込んだ。それを取っ手にヤコブが力を込め始めて程無く、弾け飛んだ鍵が床に落ちる金属音が響いた。

「……うん? まだ開かないね……なんだろう、ちょっと見てくれる?《

 オットーの手招きに応じて、パメラは扉の僅かな合間に灯りを翳した。ヤコブとオットーが再び力を込め、広がった合間を、カタリナが覗き込んだ。扉の開かぬ理由は、直ぐに判った。

「あれ……? 閂が掛かってるみたいですけど……?《

 カタリナが疑問の声を上げたのも、無理はない。閂を外から掛けることは、出来ない。その閂が掛かっていたという事は、必然的に屋内から閂を掛けた者が存在するということだ。もし人狼がヨアヒムを殺したのであれば、閂が掛かっている筈はない。よしんば外部から閂を掛けることが出来るにせよ、これまで死体を隠そうともしていなかった人狼が、今更そのようなことをするとは考え難い。
 疑念と沈黙が、四人を包んだ。誰が閂を掛けたのか、閂を掛けた人間は何処へ消えたのか――其々が思索の迷路を歩んだが、出口はなかった。よしんば誰かの思考が正しい道程を辿っていたとしても、確証のないその結論を口にする事は、躊躇われただろうことは確実だった。

「……壊すしかないべな《

 僅かな静寂の後、ヤコブが呟いた。ヤコブとオットーが力を併せても、閂を圧し折るだけの怪力には届かない。ヤコブの言葉は、扉それ自体の破壊を意味していた。オットーは頷くと、扉に挟まれた火掻き棒を抜いて、パメラとカタリナへ、扉から離れるよう仕草で示した。燭台を掲げたまま、パメラは兄の後ろへと下がった。一閃。木の割れる破砕音と共に、扉の端に火掻き棒の先端が突き刺さった。扉の搊傷を拡げるように、幾度となく振り下ろされる火掻き棒が空気を割く度、蝋燭の焔が頼りなく揺れた。

「ヤコブ《

 荒い息を洩らしたオットーが、ヤコブを呼んだ。扉を構成する木材の発する悲鳴は、既に硬質の激突音から軟質のものに変わり始めていた。火掻き棒の鋭い先端は、ささくれ立った繊維の網を抜け、閂にも十分な破壊を与えていたようだった。僅かに下がって火掻き棒を脇に置くと、オットーはヤコブと目線で合図を交わした。

「……せぇ、のっ!《

 掛け声と共に、二人分の体重が叩き付けられた。材木の裂ける音と共に、僅かに扉が内側に開いた。助走を付けて、もう一度。開いた幅と閂の軋みは、先の一撃よりも大きかった。その合間から覗いた閂に、再び火掻き棒が振り翳された。半ば折れ掛けていた閂は、それで致命傷を負ったようだった。止めとばかりに三度目の体当たりが為されたが、二人の予想より容易く閂が折れた為、二人は勢い余って屋内へと倒れ込むところであった。兎も角、扉は開いたのだ。

「さて……灯り、こっちに寄越すべ《

 勢いよく打ち付けた肩をさすりながら、ヤコブが手を差し出した。人狼がヨアヒムを殺し、そのまま潜んでいるといった可能性もゼロではない。生き残っている者は全員が今日の会議に顔を出してはいたが、最初から隠れ続けていた余所者の人狼がいないとも限らないのだ。低い可能性とはいえ、警戒するにしくはない。火掻き棒を構えたオットーが、油断なく左右を窺いながら屋内へと入っていった。

「……二人とも、ちょっと待ってるだよ?《

 言って、ヤコブはオットーの後を追った。危険への警戒か、ヨアヒムの死体を直視させぬ為の配慮か。いずれにせよ、パメラは兄の言葉に従う他は無かった。一歩を踏み出そうとしたとき、カタリナが彼女の腕を引いて、真剣な表情で首を振ったので。
 結果的には、カタリナの制止はさして意味を持たなかった。数分と経たずに室内で幾つかの火が灯され、ヤコブが二人を呼んだ。足を踏み入れると、飛び散った木屑が足元で音を立てた。
 家主の几帳面さを表すように、完全に整頓されたダイニング。そこには争った形跡もなければ、荒らされた様子も無い。それは、他の部屋も同様のようだった。
 オットーの姿はない。ただ、微かな物音から、二階に上がっているのだと判った。戸に閂がかけられていたのだから、ヨアヒムは、そこにいるはずだった。

「――ヤコブ、ちょっと《

 姿の見えなかったオットーが、二階からヤコブを呼んだ。その声は奇妙に平坦で、それはオットーが平静を装って喋る際の通癖だった。五年前、オットーの父が流行り病に倒れた際にも、聞いた事のある声だった。ああ、ヨアヒムは死んだのか――自然と、パメラはそう悟っていた。階段を上る兄の足音が、別世界のもののように遠く響いた。上思議と、涙は零れなかった。
 隣に佇むカタリナが、沈痛と憐憫の入り混じった視線を、パメラに向けていた。今は、その沈黙が有り難かった。少しだけ、思い出に別れを告げる時間が欲しかったので。

 幼少時の記憶に、ヨアヒムの姿は少ない。
 家が特別に近いという訳でもなく、病弱で他の子供達と遊ぶことの少なかったヨアヒムは、パメラにとって、ただ同年代の子供の一人だというだけの存在だった。
 そのヨアヒムと初めて接点を持ったのは、果たして、いつのことだったか。知らぬ間に、友人の輪の中に加わるようになっていた気がする。
 思い返してみれば、ヨアヒムはゲルトと共に行動していることが多かった。ゲルトは村長の息子という立場であり、ヨアヒムの父親は農民ではなかった。他の子供達は、大なり小なり大人達の農作業を手伝うことが生活の一部となっていたが、二人は違った。ある種の後ろめたさと疎外感を共有していたのだろうと、今では判る。
 そうして、五年前。村を悪夢が襲った。ばたばたと倒れてゆく村人達。全員が無事に生き残ったヨアヒムの一家は、全く幸運であったという他ない。その幸運を抱いたまま、ヨアヒムの両親はこの村を捨てた。離別という大きな出来事は、それまで友人の一人でしかなかったヨアヒムという存在を、パメラの心に印象付けた。去っていく馬車を見送ったとき、街道の彼方に消えるまで手を振り続けていたヨアヒムの泣き顔は、今でも覚えている。
 細々と続けていた手紙の遣り取りによって、ヨアヒムが村に帰ってくると知ったのは昨年の夏だった。多くの村人が、長く厳しい冬の間の仕事を得るため、出稼ぎに出るのと入れ違いになるように、ヨアヒムはひっそりと村へと帰ってきたのだ。成長期における四年間は、少年を男に変えるには充分に過ぎる時間だった。親元を離れ、手に職を付けて一人で生活するヨアヒムの姿は、パメラの瞳に眩しく映った。
 この数年、パメラは暇という言葉を友として、晩秋から春までを過ごしていた。街へと出稼ぎにいく兄に代わって、何カ月かのあいだずっと、オットーはよく面倒を見てくれたが、早朝から日没にかけて、オットーには仕事があった。オットーとは毎日のように夕食を共にしていたが、冬の弱い陽光が頭上にあるうちは、パメラに手持ち無沙汰で過ごすほかはなかった。時には、オットーの代わりに店番をすることもあったが、基本的には家事と鶏の世話を終えれば、あとは夕暮れを待つだけの日々が続いていた。
 ヨアヒムの存在はその空白に浸透し、広がっていった。食卓を囲う人数は三人に増え、いつしか二人へと減った。ヨアヒムと入れ替わるように、オットーは、食卓に顔を出さなくなっていった。
 冬が去り、兄が村へ戻り、多忙な日々が訪れた後も、パメラは何くれとなくヨアヒムの世話を焼いた。身体が弱く、家事能力に欠ける色白の青年の姿は母性本能を刺激するものではあったが、余人には、それ以外の理由があることは明白だったのだろう。
 楽しい一年間だった。それは過去形であり、そこに、新たな何かが付け加えられることは、もうない。

 階段の軋む音が、やけに遠かった。暗く、狭い階段。上っているのに、闇のなかへ下りていくようだ。その先にあるのは、幾度も上がり込んだヨアヒムの部屋ではなく、未知の場所だ。
 いつの間にか、階段を上りきっていた。部屋の前に、ヤコブとオットーが立っていた。二人とも、何も口にはしなかった。ただ、その視線は、やはりヨアヒムが死んだのだということを教えていたし、部屋に入らない方がよい、とも語っていた。
 パメラは、その忠告には従わなかった。小さく首を振ってみせて、二人のあいだを抜けた。二人は、動かなかった。足音がひとつだけ、パメラのあとに続いた。
 ――ヨアヒムは机に伏して、眠っていた。幾度か眺めたことのある光景。違うのは、ただ一つ。この眠りは、二度と覚めることはないということだけだ。

「眠っているみたいな――綺麗な、死に顔《

 遠慮がちに、カタリナが口を開いた。
 カタリナの言葉は、幾許かはパメラに現実を認識させるという意図が混じっていたかもしれない。結果的にそれは、無駄な試みに終わった――元より、パメラはヨアヒムの死を覚悟していたのだ。
 もっとも、その覚悟は、ヨアヒムが人狼に殺されていた場合のことだった。ヨアヒムの傍には、一枚の紙片が遺されていた。それにはただ、一行だけが記されていた。
 
 
 ――綺麗に死にたい。喰われるのも、処刑されるのもごめんだ。
 
 

「……馬鹿みたい《

 声の震えを自覚しながら、パメラは、ヨアヒムの横顔を覗き込んだ。確かに、綺麗な死に顔だった。ゆっくりと伸ばした指先に、僅かに癖のあるブラウンの髪が触れた。その感触が普段と同じであったから、触れた肌のゾッとするような冷たさが余計に際立ったようにパメラには思えた。

「処刑されるなんて、そんなことあるわけないのに。ニコラスさんとカタリナさんだって、神父様が間違ってる……って《

 ゆっくりと指先を動かして、ヨアヒムの頬をなぞって。小さく、パメラは首を振った。ヨアヒムの誤りは、そういうことではなかった。
 処刑されたくないと願うのならば。どうして、疑いを解こうとしなかったのだろうか。何故、生きようとしなかったのか。
 アルビンは、違った。かれは人狼だったが、最後まで、自分の無実を主張し、周囲に訴えかけていた。
 オットーも、そうだ。死を覚悟していた様子はあったが、少なくとも、己を人狼と吊指したジムゾンと、戦おうとしていた。

「きっと……貴方は、あの頃のままだったんだね。何かがあると、すぐ泣いていた頃のまま《

 ヨアヒムの冷たい頬を撫ぜながら、パメラは遠い過去を想った。
 仲間外れにされそうなとき。疲れて周囲に付いていけなくなったとき。様々な場面で、ヨアヒムは泣いていた。身体が弱いヨアヒムにとって、泣くことは最大の意思表示だったのだろう。泣けば、周囲はヨアヒムを気に掛けてくれる。そうやって、ヨアヒムは育ったのだ。
 幼少期に染み付いた嗜好や癖は、歳を取っても変わらない……と、良く言われている。結局のところ、この自殺も本質的には同じだったのだろう。思い通りにならないから、自分を気に掛けて欲しいから。泣き喚く代わりに、毒を呷ったのだ。パメラには、それがよく理解出来た。

「もっと、大人になれると良かったのにね……でも、さ。私は……この一年間、楽しかったよ《

 言って、パメラは腰を折り曲げた。冷え切ってざらざらとしたヨアヒムの頬に唇を微かに触れ合わせ、耳元で囁いた。
 聞く者のいない、自分自身へのけじめの言葉を。

「……さよなら、ヨアヒム《

 悲しみ、哀れみ、愛おしさ。様々な感情が綯い交ぜになって、パメラの瞳から零れた。





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